1994年の巨人の日本一に貢献、王手をかけた日本シリーズ第6戦で決勝アーチ米スポーツ専門メディア「ザ・スコア」が、1994年に巨人でプレーしてチームの日本一に貢献したヘンリー・コトー氏を取材し、当時の思い出、日本の野球の印象などを聞いた

1砂漠のマスカレード ★2019/10/03(木) 06:55:49.44ID:ohyxRIGc9 1994年の巨人の日本一に貢献、王手をかけた日本シリーズ第6戦で決勝アーチ

米スポーツ専門メディア「ザ・スコア」が、1994年に巨人でプレーしてチームの日本一に貢献したヘンリー・コトー氏を取材し、
当時の思い出、日本の野球の印象などを聞いた。コトー氏は日本の応援スタイルに驚いたと、25年前を振り返っている。

コトー氏は外野手として1984年から10年間にわたってカブス、ヤンキース、マリナーズマーリンズでプレー。
1994年にオリオールズに移籍したが出場機会を求められず、巨人と契約できるようにオリオールズを説得した。
ブロンクス出身の元ヤンキースの選手は、オレンジ色をまとった日本のファンの前でプレーする魅力を感じたという。

同年2月に巨人への移籍が決定。
また、その年の4月、コトーは地球の反対側で初めてセンターでプレーした。
まず驚かされたのは日本の応援スタイルだった。初球から最後のアウトまでファンが太鼓を叩き、
トランペットを吹き、声をそろえて応援するのが日本のプロ野球の応援方法。
音について誰も彼に警告しなかったこともあり、度肝を抜かれたという。

「僕の後ろで爆竹が鳴ったのかと思ったよ」

コトーは最初の数週間、打率が2割を下回るスロースタートだったが、徐々に調子を上げていった。
巨人は彼のパワーと優れた守備を頼りにし、ダン・グラッデンと将来有望な20歳のスラッガー、ヒデキ・マツイの間で、ほぼ毎日中堅手として出場した。
コトー氏はこの年、107試合に出場して打率・251、18本塁打、52打点をマークした。

勝った方が優勝という10月8日の中日戦でも存在感を示した。2点リードの4回に18号ソロ。歴史的な「10・8」決戦で巨人を勝利に導いた。

「日本に行くチャンスがあるなら、そこでプレーするのは素晴らしい経験になるよ」

長嶋巨人を初の日本一に導いた助っ人は、地球の裏側でプレーした25年前のシーズンを懐かしんだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00558251-fullcount-base
10/2(水) 21:47配信

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http://npb.jp/bis/players/31633889.html
成績

https://www.youtube.com/watch?v=aFkEhhy8V60
コトー

Source: シネマッフル

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