1砂漠のマスカレード ★2019/10/25(金) 17:02:06.10ID:YUQnMWH39 ON対決となった2000年以来の巨人、ソフトバンク(2000年当時はダイエー)による日本シリーズはソフトバンクの4連勝であっけなく幕を閉じた。
巨人が沸いたのは初戦の阿部慎之助の先制ホームラン、第3戦の亀井善行の先頭打者ホームランの時くらいで、終始ソフトバンクが圧倒し続けた印象を持ったファンが大半だった。
この結果で、過去70回の日本シリーズの対戦成績はセ・パ35勝ずつとタイになった。改めて1950年代から10年毎のセ・パの対戦成績と最多優勝チームを並べて見ると以下のようになる。

1950年代:セ・リーグ5勝 パ・リーグ5勝 最多優勝:巨人4回
1960年代:セ・リーグ8勝 パ・リーグ2勝 最多優勝:巨人7回
1970年代:セ・リーグ6勝 パ・リーグ4勝 最多優勝:巨人4回
1980年代:セ・リーグ5勝 パ・リーグ5勝 最多優勝:西武5回
1990年代:セ・リーグ5勝 パ・リーグ5勝 最多優勝:西武・ヤクルト3回
2000年代:セ・リーグ5勝 パ・リーグ5勝 最多優勝:巨人3回
2010年代:セ・リーグ1勝 パ・リーグ9勝 最多優勝:ソフトバンク6回

1965年からの巨人のV9以降、セ・パの対戦成績は拮抗した状態が続く。80年代後半に西武が黄金時代を迎え、巨人が勝てなくなると、
1993年に逆指名ドラフトとFA制度が導入され、その恩恵を受けた巨人が2000年代は巻き返しを見せる。
しかし、2000年代から大物選手のメジャー移籍が相次ぎ、2007年からドラフトの逆指名(廃止当時は希望入団枠)が廃止されると、巨人およびセ・リーグのアドバンテージは小さくなり、
010年代は完全にパ・リーグ優位の時代となっている。
ちなみに2005年から始まったセ・パ交流戦でも15年間でパ・リーグが14度勝ち越しとパ・リーグを圧倒している。
2004年に日本ハム入りした新庄剛志がオールスターでMVPを獲得した時に「これからはパ・リーグです!」と話したことがまさに現実となっている状況だ。

ここまで主に制度の変遷について触れてきたが、それだけがパ・リーグ優位の理由ではない。パ・リーグの各球団がその制度に沿って、的確に補強を進めてきたことが今の結果に繋がっている。
大きなきっかけとなったのが、2004年の球界再編騒動だ。オリックスと近鉄の合併を皮切りに1リーグ制への流れが加速したが、楽天の新規参入を承認することでパ・リーグは維持された。
またこれを機にパ・リーグ全体が危機感を覚え、巨人とセ・リーグに頼らない経営を目指して、強化に本腰を入れるようになった。
その大きな方針の一つが、自前での選手育成と若手抜擢の早期化だ。実績を残した選手はFAでセ・リーグ、もしくはアメリカに流出するものと覚悟を決め、将来に対する備えを早くから行うようになった。

一方の巨人、阪神といったセ・リーグの球団は、育成よりも出来上がった選手の獲得に熱を上げ続け、その結果として、チームの新陳代謝が進まない現象を引き起こしている。
010年以降にパ・リーグからセ・リーグにFAで移籍した選手は以下の通りである。

藤井彰人(2010年):楽天→阪神
森本稀哲(2010年):日本ハム→横浜
小林宏之(2010年):ロッテ→阪神
杉内俊哉(2011年):ソフトバンク→巨人
日高剛(2012年):オリックス→阪神
片岡治大(2013年):西武→巨人
大引啓次(2014年):日本ハム→ヤクルト
成瀬善久(2014年):ロッテ→ヤクルト
脇谷亮太(2015年):西武→巨人
糸井嘉男(2016年):オリックス→阪神
森福允彦(2016年):ソフトバンク→巨人
陽岱鋼(2016年):日本ハム→巨人
野上亮磨(2017年):西武→巨人
大野奨太(2017年):日本ハム→中日
炭谷銀仁朗(2018年):西武→巨人
西勇輝(2018年):オリックス→阪神

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191025-00589585-shincho-base
10/25(金) 6:00配信

Source: シネマッフル

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